ELIZA NG(1)今時の傾聴対話を考える

Thinking about listening dialogue with current technology and social conditions.


2019/11/19
藤田昭人


タイトルの NG は "New Generation" です。"Not Good" ではありません(笑)

前回 の ELIZA 第2論文は楽しんでいただけたでしょうか? この論文の結論とおぼしき次のくだり…

I call attention to this contextual matter once more to underline the thesis that, while a computer program that "understands" natural language in the most general sense is for the present beyond our means, the granting of even a quite broad contextual framework allows us to construct practical language recognition procedures.

このコンテキストに関わる問題についてもう一度注意を喚起し、次の命題を強調します。 最も一般的な意味で自然言語を「理解」するコンピュータープログラムは、現時点では私たちには手に負えませんが、 非常に広範なコンテキスト・フレームワークさえも付与すれば、実用的な言語の認識手順を構築することができます。

…を改めて読み返すと、その後の「人工無能」の隆盛を予言しているかのようにも思えます。

ちなみに「人工無能」の隆盛に関しては 以前書いた記事 で紹介した、加藤真一さんの『夢みるプログラム』が詳しいのでそちらを見ていただくとして…

www.rutles.net

本稿では Weizenbaum の2つの論文に記された傾聴対話について、 今日的な意義を改めて考えたいと思います。 ELIZA が登場した1960年代にもあった「人工知能 vs 人間」という構図はむしろ今日の方が盛んに議論されてますけども *1、 この構図で捉えるとき「傾聴」は今日的な(ひょっとしたら普遍的な)技術課題ではないのかな?と僕は思います。


オリジナル ELIZA の傾聴対話を考える

今日でもELIZA は「傾聴に適した」チャットエンジンとして広く認知されています。 が、第1論文でも言及したようにその対話性能にはいろいろ問題がありました。 もちろん Weizenbaum 自身はこのオリジナル ELIZA の限界をよくわかっていたでしょう。 でも、そもそも開発目的は「対話型コンピューティングのデモンストレーション」ですから。 展示会などで、ターミナルを設置して、一人あたり数分程度の会話(もどき)のセッションをする程度であれば、 これで十分だったのでしょう。

ところが…

オリジナル ELIZA の出現それ自体が「対話システム」そのものへの関心や注目を強力に集めてしまったため、 Weizenbaum は ELIZA の研究方針を大きく変更せざる得なくなりました。 第2論文は新たな方針での取り組みの進捗の中間報告の性格なのかな?と想像しています。

「誤解を隠す」

Weizenbaum は第2論文でオリジナルの ELIZA が「誤解を隠す」振る舞いをしてしまうことに何度も触れています。 ここで言う「誤解」とは人間の話者が「ELIZAは私の話を理解している」と信じてしまう事を意味します。 ELIZA に対し人間が 「誤解」してしまうのは「精神分析医」や「セラピー」という状況設定による ある種の心理学的なトリックの効果であることも Weizenbaum は暴露しています。 「誤解を隠す」*2とは「ELIZAの応答がそれ以前のELIZAの応答を覆い隠してしまう事を意味しているのではないか?」と僕は想像しています。

というのも、ELIZAは人間の直前の発話だけからトリガーとなる表現を見つけだし応答文を決めます。 もしELIZAの応答に対し、それに続いて人間が確認したり質問するような発話を行っても、 その意図には頓着しない全く別の応答を返してしまう可能性が高いことになります。 その結果、一応会話のていにはなっているけれども脈絡のない言葉のやり取りが永遠と続くように人間は感じてしまう。 人間には「さっきの発言の意味にも答えない」何を聞いてもノラリクラリとツッコミを交わす「惚けまくる話相手」に見えてしまう事でしょう。

結局、オリジナルのELIZAはが約束してくれるのは「ひたすら会話を続ける」ことと「自分から会話を打ち切ることは絶対ない」ことだけです。 これではロジャー派のクライアント中心療法に対応できないのはもちろん、 単に会話するだけでも普通の人間なら1〜2度話したら飽きちゃうことは必定でしょう *3

外国語のサポートの問題

第1論文では「ELIZA は英語以外の言語も扱える」と書かれています。 が、それはドイツ語などラテン語系の言語の場合。 言葉の成り立ちがまったく異なる日本語ではそんなに上手く行きません。 僕は言語学の専門家ではないので、以前紹介した ELIZAの日本語化の記事 での経験を踏まえての話になりますが、その作業で「日本語での ELIZA スクリプトのルール作成は厄介」という事を痛感しました。

簡単に紹介すると、 まず分解ルールは、文を語の単位に分けてくれる形態素解析の結果を想定して書かなければなりません。以前は TinySegmenter を使って形態素解析を行いましたし、もちろん正しく動いてくれていたのようですが、 そもそも日本語の品詞区分は細かすぎるので、分解ルールのパターンを書くのは骨が折れます。 さらに再構築ルール。英語の場合は入力文の(複数単語からなる)文節をごっそり抜き取って、 予め用意したテンプレートの該当箇所にそのまま刺し入れる荒技が頻繁に使われます。 英語ではこのようにして生成された文章でも表現として不自然さはないのかもしれませんが、 日本語の場合は付属語を適切に書き換えないと不自然な文章になってしまいます *4

…などなど、日本語版 ELIZA スクリプトの作成について仔細を語り始めると、 非常に細かい、愚痴にしかならないことが山ほど出てくるでしょう。 やはり ELIZA スクリプト(特に日本語対応の)を書くには特別な技能が必要なように思います*5

第2論文で語られていること

第2論文では、上記の問題点(外国語サポートを除く)への対処法の指針が示されています。 その基本的な考え方は以下になるのだと思います。

I believe this anecdote testifies to the success with which the program maintains the illusion of understanding. However, it does so, as I've already said, at the price of concealing its own misunderstandings. We all do this now and then, perhaps in the service of politeness or for other reasons. But we cannot afford to elevate this occasional tactic to a universal strategy. Thus, while the DOCTOR program may be useful as an instrument for the analysis of two-person conversations, and while it is certainly fun, its aim must be changed from that of concealment of misunderstanding to its explication.

この逸話は、プログラムが理解しているという幻想を維持することに成功していることを証明していると思います。 ただし、既に述べたように、誤解を隠すという代価を払ってそうしているのです。 私たちは皆、時折、丁寧さやその他の理由でこれを行います。 しかし、この時折の戦術を普遍的な戦略に引き上げることはできません。 したがって、DOCTORプログラムは二者間の会話を分析するための道具として有用かもしれないし、確かに楽しいですが、 その目的を誤解を隠蔽することからそれを説明することへと変えなければなりません。

(英語の "misunderstanding" を「誤解」と訳すことが問題なのかもしれませんが) この「誤解を説明する」という表現もまたまたわかりづらい。 「誤解を隠蔽する」ことがプログラムの発言への人間の応答に対して プログラムから「応答との関連性の定かでない」応答を返して 先のプログラムの発言を覆い隠してしまうことだとすると、 「誤解を説明する」ことは人間の応答に対して「より関連性のある話題へ移行する」ことを意味しているのだと思います。 第2論文では、オリジナルの ELIZA の誤解を隠蔽してしまう問題を次のように指摘しています。

Any continuity the reader may have perceived in that dialogue -- excepting only the last machine response -- is entirely illusionary. A careful analysis will reveal that each machine response is a response to the just previous subject input. Again with the exception of the last sentence, the above quoted conversation has no sub-contextual structure at all. Nor does the description of the program given in [6] give any clues as to how sub-contexts might be recognized or established or maintained by the machine.

読者がその対話で知覚した連続性は(最後のマシンの応答を除いて)すべて完全に幻想です。 注意深く分析をすれば、機械の各々の応答が直前の主題の入力に対する応答であることを明らかです。 繰り返しになりますが、最後の文を除いて、上に引用した会話にはサブコンテキスト構造がまったくありません。 また、 第1論文で与えられたプログラムの記述は、 マシンによってサブコンテキストがどのように認識され、確立され、維持されるかについてのいかなる手掛かりも与えません。

どうやら「誤解を説明する」とは、具体的には会話の構造を考慮した応答を返す、 つまりサブコンテキストやサブサブコンテキストに区分して、各々が独立した応答を生成する事を意味しているようです。 そのための機能がスクリプトの階層化で、各サブコンテキスト毎にサブスクリプトを記述し、 実際の会話ではメインスクリプトから実行し、 何らかのイベント発生(キーワードのマッチ)を契機に対応するサブスクリプトを呼び出すことにより 「誤解を説明する」(構造化された対話を実現する)ことを提案しているようです。

もっとも…

第1論文とは違って、第2論文には新しい ELIZA の実装に関わる具体的な情報はほとんど含まれてませんし、 後続の論文が執筆されることも結局なかったので、この新しい ELIZA は文字どおり「幻のシステム」となってしまったのでしょう。


ELIZA後の人工無能やチャットボット

ELIZA の開発が停止した後も、その他の研究者の手で対話システムの研究は続けられました *6。 その後の人工無能やチャットボットの歴史の概観は、 前述の加藤さんの『夢みるプログラム』が詳しいので詳細はそちらを見ていただきたいのですが、 ここで少しだけ受け売りをしておきますと…

1970年代になると現在のロールプレイングゲームの元祖である Colossal Cave Adventure が登場します。このゲームは、シナリオに沿って命令を選択する いわゆる選択肢型と言われる対話方式が採用されてました(僕はドラクエを思い出します)。 ELIZAの自然言語を解釈する方式とは対照的な方式で、 以降の人工無能やチャットボットは両者の方式を折衷したような辞書型やログ型が登場したそうです。

時代的な推移をざっくりと紹介すると、 パソコンが台頭した1970年代末から1980年代は「スタンドアローンPC」で稼働する人工無能が作られたそうです。以前、紹介した 「僕がパソコンで ELIZA が動くところを見た話」 の時代ですね。

インターネットが商業化され世界中に普及した1990年代は人工無能が「ネットワーク化」される時代でした。 この時代はWWWが登場したことにより、不特定対数を対象にした人工無能が容易に提供できるようになったことから、 腕に自信のある個人による人工無能が多数公開されたそうです。 この時代はまだ巨大インターネット企業は存在せず、その利用方法について制約が少なかったことから、 今から考えれが「古き良き時代」だったような記憶があります。

さて…

21世紀に突入すると、人工無能とチャットボットを取り巻く環境は激変したように思います。 僕個人の視点で少し話をさせてもらうと…

人工無能とチャットボットはSNSなど巨大インターネット企業の台頭により、 ウェブ・サービスは彼らのインフラストラクチャの上で提供されることが主流になりました。 背景として1990年代の ドット・コム・バブル があるのですが、それまで収益には結びつかなかった技術の収益化が促進される動きが顕著になりました。 人工無能やチャットボットのエンジンもまた「収益化がはかれる技術」とみなされて、 巨大インターネット企業のサービスに取り込まれる方向で技術開発が推移しているように僕には見えます。 今日、事業化が推し進められている商用のチャットボット・サービスもこの流れの中の取り組みのように思います。 技術的には1990年代までに培われた対話システムの技術を基盤に、 新しい技術(例えば、機械学習などが筆頭に挙げられますが)を導入して、 対話性能の向上を目指すのがトレンドなのだろうと理解してます。 もちろん、収益化が最重要課題なので新しい需要(例えば、ロボット向けの対話機能など)を掘り起こし、 それに向けた最適化が開発目標とされているのでしょう。


チューリング・テスト: ELIZA のもうひとつの系譜

ELIZA の後継者をたどるもうひとつの系譜が チューリング・テスト です。ELIZAがブームになった第1論文が発表された当時 「ELIZA はチューリング・テストをクリアする初めてのプログラムではないか?」 という話題が持ち上がったことから、 その後の「チューリング・テストをクリアする(目的で開発された)プログラム」は ELIZA の後継者と見なされるようになったという話です。

このチューリング・テストに関する Wikipedia の(非常に簡単な)解説は以下のとおりです。

f:id:Akito_Fujita:20191118135912p:plain
チューリング・テスト

質問者であるプレイヤーCは、AとBどちらのプレイヤーがコンピュータでどちらが人間か回答しなければならない。 質問者が回答のために使えるのは、文字上の質問に対する返事に限られる。

実は、僕もチューリング・テストのトピックも書くつもりで文献を探し回って来たのですが、 アラン・チューリング 由来のトピックということもあるのか、インターネット界隈でも日本語の文献がたくさん見つかります。 もちろんどれも面白い内容なんですが、 ここで「チューリング・テスト」を初めて知った人向けに僕からオススメする文献はこちら。

ipsj.ixsq.nii.ac.jp

東中 竜一郎さんが書かれた解説記事『チューリングテスト「合格」のシステム』は他の文献に比べて新しく、 網羅的でわかりやすい語り口なので情報の専門家でなくても楽しく読めると思います。

でも、文献を1つだけ紹介してこのトピックを終えるのは癪に触るので、 ひとつだけウンチクを…

東中さんの解説記事にも度々登場する ローブナー賞 ですが、Wikipedia 英語版の記事を読んでみると次のような記述が登場します。

  • Criticisms(批判)

The prize has long been scorned by experts in the field,[6] for a variety of reasons.

この賞は長い間、さまざまな理由でこの分野の専門家から軽蔑されてきました。

どうやらこの賞は ELIZA 由来の心理学的トリックを駆使して審査員をどうやって騙すかを競い合う大会なようです。 人工知能研究の重鎮である Marvin Minsky は「こんな宣伝ばっかりで人工知能研究には全く役に立たない競技会は止めてしまえ」と言ったとか言わないとか…

その後、この賞を始めた Hugh Loebner との合意が成立し、 "Minsky Loebner Prize Revocation Prize"(「ミンスキー・ローブナー賞取り消し賞」) なる賞が創設されたそうです。そのアナウンスの文面には以下のとおりです。

https://web.archive.org/web/20160301220049/http://www.loebner.net/Prizef/minsky.txt

In fact, I hereby offer the $100.00 Minsky prize to the first person who gets Loebner to do this. I will explain the details of the rules for the new prize as soon as it is awarded, except that, in the meantime, anyone is free to use the name "Minsky Loebner Prize Revocation Prize" in any advertising they like, without any licensing fee.

  1. Marvin Minsky will pay $100.00 to anyone who gets me to "revoke" the "stupid" Loebner Prize.

  2. "Revoke" the prize means "discontinue" the prize.

  3. After the Grand Prize is won, the contest will be discontinued.

  4. The Grand Prize winner will "get" me to discontinue the Prize.

  5. The Grand Prize winner will satisfy The Minsky Prize criterion.

  6. Minsky will be morally obligated to pay the Grand Prize Winner $100.00 for getting me to discontinue the contest.

  7. Minsky is an honorable man.

  8. Minsky will pay the Grand Prize Winner $100.00

  9. Def: "Co-sponsor": Anyone who contributes or promises to contribute a monetary prize to the Grand Prize winner .

  10. Marvin Minskey is a co-sponsor of the 1995 Loebner Prize

実際、私はここでLoebnerにこれをやってもらった最初の人に100.0ドルのMinsky賞を提供する。 新しい賞が授与されたらすぐに、新しい賞の規則の詳細を説明しますが、 それまでの間、誰もがライセンス料なしで好きな広告に「ミンスキー・ローブナー賞取り消し賞」という名前を自由に使うことができます。

1.「愚かな」Loebner賞を「取り消す」してくれた人には、マービン・ミンスキーが$100.00を払う。

2.「取り消し」というのは、「中止する」という意味です。

3.大賞が決まるとコンテストは中止になります。

4.大賞受賞者は賞を廃止するために私を「得る」するだろう。

5.大賞受賞者はミンスキー賞の基準を満たすだろう。

6.ミンスキーは私にコンテストを中止させたことで、大賞受賞者に100.00ドルを支払う道徳上の義務がある。

7.ミンスキーは立派な人です。

8.ミンスキーは大賞受賞者に100.0ドルを支払う。

9.定義:「共同スポンサー」:大賞受賞者に金銭的な賞を寄付する、または寄付することを約束する人。

10.マービン・ミンスキーは1995年ローブナー賞の共同スポンサーである

どうやら「ローブナー賞」は「イグノーベル賞」みたいな賞のようです *7


さいごに:今時の傾聴対話を考える

本稿では Weizenbaum の第2論文から始めて、 その後の対話システムの研究開発の変遷を非常にザックリと駆け足で眺めてきました。 どうも本稿は脚注に今後の執筆の TODO リストを列挙する記事になってしまってますが…

最後に現在の対話システム研究についてうす〜くふれてから、 図らずも ELIZA が提起することになった「機械による傾聴」について考えてみたいと思います。

タスク限定型対話システムと雑談対話システム

前述の東中さんの解説記事には「対話システム研究の現状と課題」という見出しがあって、 2014年当時の対話システムの研究動向を短く解説されています。少し引用せてもらうと…

問題が難しすぎて,一般的な 解法が見つからないために, 対話システム研究者は,自由な会話をするシステムは諦めて, タスクを限定することで実用的な対話システムを作ってきたと言える.

この部分は本稿の「ELIZA後の人工無能やチャットボット」で語った動向の説明かと思います。 確かに現在商用化が進んでいる対話システムはタスク限定型が中心のように見えます。

近年,スマートフォン上の音声エージェントシス テムが普及するにつれ,自由な会話をするシステム に対する要望が増えている. <中略> 雑談がメインの機能でないにもかかわらず, 雑談をしようとするユーザも多い.

これが現在の対話システムの潜在ユーザーのニーズなのかな?と僕は理解しています。 さらに雑談対話システムの応用分野として…

人間とシステムによる 雑談を分析し,対話の破綻個所を自動的に検出する ことが目標の 1 つとなっている.

…は実用性が見込める用途のような気がします。

が、僕が関心のある「傾聴」にフォーカスすると、やはり…

また,高齢世帯や独居世帯の増加に伴い,雑談ができるシステム のニーズも増加している. タスク指向型対話システムであっても雑談を挟むことでタスクが達成されやすくなったり,システムへの愛着が増すという結果も報告されている.

というニーズに行き当たるように僕は思います。

対話システムのインフラとしてのスマート・スピーカー

この解説記事が発表された2014年に起きた「対話システム」に関連するその他の事件といえば、 Amazon Echo の発売があります。当時は随分話題になりましたよね?

スマート・スピーカーは技術的には非常に制限は多いものの、 非常に小さなコストで音声認識・合成技術が利用できることでは、 対話システムのコモディティ化に向けた決定的な足掛かりとなるデバイスであることは間違いないと僕は考えてます。

が、それから5年経過した今日、スマート・スピーカーは 手で操作する必要のない音楽再生スピーカーとして 定着しつつある印象は否めません。

確かに Voice User Interface(VUI)としては(ある程度)機能してはいます。 ただ、東中さんの指摘どおり、 人間は音声だと「指示を出す」だけでは満足せず「雑談」したがるもの… 例えば(僕個人の経験では)「XXの音楽かけて」と頼んで 「XXはわかりません」と返事が返ってくると思わず「この馬鹿野郎」と罵ってしまいますが、 その時「すいません」と返事が返ってくることを暗黙のうちに期待してしまいます。 これもある種の雑談ですよね?

結果、何度か試してみた後、彼のつれない態度に飽きて文鎮化する… が現在のスマートスピーカーの現実なんじゃないでしょうか? *8 そこがプロンプトが返ってきたらコマンドを打ち込むだけの CUI や ウィンドウの表示をみながらボタンやスクロールバーを操作する GUI と VUI の決定的な違いなんじゃないかと僕は思うのです。

スマート・スピーカーで傾聴を考える

ということで、スマート・スピーカー(もちろんSNSのチャットボットでも良いのですが)と雑談する方法を考えてます。 もう少し具体的にいうと「独居世帯+スマート・スピーカー+傾聴」で何か意味のある会話ができるのだろうか?というお話です。

ここで言うところの「傾聴」とは 以前紹介した ロジャース派の手法を想定してますので、 スマート・スピーカーは「受容」「繰り返し」「明確化」の応答だけを返します。 つまり主導権は常に人間にある会話だと理解してください。

このような会話が起こる現実的な状況のひとつに「引きこもり」があるかな?と考えています。 ここで言うところの「引きこもり」とは、自らの意思で積極的に引きこもっている人もいれば、 なんらかの外的な理由によりそういう状況に追い込まれた場合…例えば 「朝起きたら職場や学校から『巨大台風が接近しているので本日は自宅待機』との連絡が入っていた」 といった状況…など考えられます。こういう時、独居世帯は確かに半ば強制的に「引きこもり」状況に追い込まれます。

こういう状況で「できるところだけでも仕事をしよう」と思う人はよほど切羽詰まってる人でしょう。 テレビを付けても、どのチャンネルも台風情報を放送しているのですぐ飽きる。 不思議なことに「録りためてあったビデオ録画を見よう」とか「机に積み上げていた本を読もう」とは思いつきません。 で、もしスマート・スピーカーと取り留めのない会話をするとすれば、その目的はただひとつ。単なる暇つぶしです。

でも、個人的な経験則なのですが、こういう時は案外クリエーティブになったりするように思うのです *9

では、そのような(クリエーティブではあっても)暇つぶしの会話が役にたつような事はあるのでしょうか? ふと思い付いたのですが、クライアント中心療法の「受容」「繰り返し」「明確化」の手法は、次の ブレインストーミング の4原則と案外親和性は高いのではないかな?などと僕自身は考えています。

  1. 判断・結論を出さない(結論厳禁)
  2. 粗野な考えを歓迎する(自由奔放)
  3. 量を重視する(質より量)
  4. アイディアを結合し発展させる(結合改善)

では、どのようなスクリプトを書けば、人間の対話者の発言をこのようなブレインストーミング的な方向に誘導できるのか? 今のところ僕はピンと来てないのですけども…もしスマート・スピーカーとこのような会話ができるとしたら「ひとりでブレインストーミング」 つまり「たわ言のような雑談から自分の考えを整理するため補助」をスマート・スピーカーに担わせることができるようになるかも? などと漠然と想像しています。

このようなスクリプトが皆さんの役に立つのかわかりませんが…

少なくとも、僕がこのブログを書くにあたって日々悶絶している問題、 既に書いてしまったネタ(すぐに忘れてしまいます)を指摘してくれたり、 新しい文献を読んで新たに思い付いたネタ(これもすぐ忘れてしまいます)を語ったら覚えておいてくれたり、 複数のネタの組み合わせについて(機械的に)語ってくれたり(これを自分の頭だけで考えると堂々巡りして答えが出なくなる)する スクリプトがあると良いなぁ…などと思っています。

もちろん、これは僕専用のスクリプトにはなるんでしょうが、 まずは僕が自分の知識を喋ったら覚えてくれる機能が必要だなぁ…などと考えています。

以上

*1:Weizenbaum にしてみれば Multics が提供する(はずだった)先進の対話的コンピューティングの効果的なデモさえできればよかったんだろうし、 そのプログラムを作るために単に都合がよかったからロジャー派のクライアント中心療法に注目しただけだったんでしょうが、 彼特有の深い洞察からひねり出した狙いがハマり過ぎたというか、 本職の Kenneth Colby といった心理学者たちに火を付けてしまったのが ELIZA での大誤算だったってことなんですけどね。

当時は「一部の専門家(というか好き者)だけが関心をもつSFがかった議論」だったという訳で…

*2:「誤解を隠す」の意味

第2論文のこのくだりで一番悩ましいのは「誤解を隠す」("conceal misunderstanding")の解釈でしょう。 もちろん、これは言葉どおりの意味であるとは思うのですが、 "even at the price of having to conceal any misunderstandings on its own part" (誤解を隠すという代償を払ってでも) と非常にシリアスな文言の中に埋まっているので Weizenbaum 自身は何らかの特別な意図があったのではないかと考えてます。

*3:これは以前紹介した JavaScript 実装を使ってみた上での僕の感想でもあります(笑)

*4:この ELIZA スクリプトの解説と日本語化については下記の記事を参考にしてください。

とにかく日本語化したELIZAスクリプトを書くのは疲れること請け合いです。

*5:これ、アイザック・アシモフのポジトロニック・ロボット・シリーズに登場する 「ロボット心理学者」のスーザン・サリバンを思い出してしましますよね? この場合は「ロボット言語学者」なのかな?

*6:ELIZA と同時代の有名な事例としては Kenneth ColbyPARRY なんですが、このプログラムはこの後ガッツリ紹介するつもりなので、ここでは割愛します。

*7:当事者の Hugh Loebner も Marvin Minskey も既に故人で、 このアナウンス文も公式サイトからは削除されているようなので、 その後の顛末やローブナー賞の現在を後ほどガッツリ書こうと思っているので、 ここでは触り程度で。

*8:結局、彼にはラーメン・タイマー以外の仕事は落ちてこなくなりました。

*9:ひょっとしたら「引きこもり文学」みたいな事例があるんじゃないか?と思ってググってみたら、 なんと大賞を創設した人がいました。

www.hikikomori-news.com

クラウドファンディングで資金を獲得してるそうなので、 一般にもそういう需要や欲求があるんだなぁ…と感心した次第です。

ついでにちょっと不謹慎かもしれませんが…

個人的に「究極の暇つぶし」というと思い出すのが、 『アンネの日記』 ("The Diary of a Young Girl") です。

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のオランダにおいて 国外脱出できなかったユダヤ人一家が倉庫の屋根裏部屋に身を潜めた。 その家族の中で最年少だったアンネ・フランクが書いた日記は、 戦後、父親のオットー・フランクの手で出版されました。 世界的なベストセラーになりましたので、ご存知の方も多いかと思います。

ただ、著者のアンネ・フランクにしてみれば、 見つかれば収容所に入れられて殺されることがわかっていたので、 これは究極の引きこもりだったわけで、その心を慰める術が日記だったという事になります。 彼女の悲惨な現実とは裏腹に日記ではティーンエイジャーらしい様々な話題が率直に語られています。 背景を伏せてしまえば、ジュブナイル小説としてヒットするくらいの出来で、 今日でも彼女の文才は高く評価されています。

同書を読まれた方はご存知でしょうが、 この日記はキティという架空の人物に向けたメッセージとして綴られています。 たとえ架空の人物であったとしても人間は話し相手を得るてその相手を信じられる限り、 どんな悲惨な状況下にあっても前向きな思考を持てるものなんだなぁと僕はつくづく感心してしまうのです。