AI(人工知能)っていつから始まったの? ー ダートマス会議の内幕

2019/02/08
藤田昭人

 

AI(人工知能)のブームはまだまだ続いているようですが…

現在のAIブームが3度目であることをご存知ない方も多いのではないでしょうか?実は、AI(人工知能)という言葉はおよそ60年前に登場しました。浮き沈みの激しい情報系の業界において、これだけ長いあいだバズワードとして機能する例は本当に稀なんじゃないかと思います。今もって近未来的イメージのある人工知能ですが、その歴史は案外古い。ではAI(人工知能)って言葉は、いつ、誰が、どこで、何故、使い始めたのか?と言うのが本ページのお題です。

 

名付け親は John McCarthy

情報系の様々な教科書によれば「人工知能(AI)は1956年にダートマス大学で開催されたサマーミーティングに置いて John McCarthy が提案した」と説明されています。McCarthy と言えば、AIの名付け親と言うだけでなく、その後 LISP と言うプログラミング言語を発明し、スタンフォード大学人工知能研究所(SAIL)を設立し、その後も長らくこの分野の研究を牽引してきた学者で「人工知能の父」と呼ばれる大先生ですからご存知の方も多いでしょう。

 

en.wikipedia.org

 

このダートマス大学で行われたサマーミーティング、大学の夏休み期間を利用して、なんと8週間も続いたとのこと。そんなに長い時間をかけて、一体何が相談されたんでしょうね。

 

ミーティングの内容

実は、このミーティングの前年(1955年)ロックフェラー財団に宛てて、このミーティングに対する資金援助を依頼する提案書が出されました。その全文が次のサイトで公開されています。

 

aaai.org

 

既に、この提案書のタイトルには "Artificial Intelligence" とありますよね?つまり、ミーティングの1年前には『人工知能(AI)』という言葉が発案されていたことになります。その中身はというと…前文には次のような説明があります。

We propose that a 2 month, 10 man study of artificial intelligence be carried out during the summer of 1956 at Dartmouth College in College in Hanover, New Hampshire. The study is to proceed on the basic of the conjecture that every aspect of learning or any other feature of intelligence can in principle be so precisely described that a machine can be made to simulate it. An attempt will be made to find how to make machines use language, form abstractions and concepts, solve kinds of problems now reserved for humans, and improve themselves. We think that a significant advance can be made in one or more of these problems if a carefully selected group of scientists work on it together for a summer.

翻訳すると…

1956年の夏、ニューハンプシャー州ハノーバーダートマス大学で2ヶ月間、10人により人工知能の研究を行うことを提案します。この研究は、学習のあらゆる側面または他の知能の特徴が、原則として非常に正確に記述され、それを模倣するような機械を作ることができるという仮定を基本に進めて行きます。機械に言語を使用させる方法、抽象化および概念を形成する方法、現在人間が扱っている種類の問題を解決する方法、およびそれら自体を改善する方法を見つける試みがなされます。慎重に選択された科学者のグループが夏の間それに取り組むならば、我々はこれらの問題の1つ以上で重要な進歩が成されることができると思います。

 とミーティングの主旨が非常にアグレッシブに宣言されています。ここで「人間の知能を模倣する機械の開発」を明言しているところに留意してください。さらに具体的な研究課題として次の7項目を掲げています。

  1. Automatic Computers(自動コンピュータ)
  2. How Can a Computer be Programmed to Use a Language(言語を使うようにコンピュータをプログラムする方法)
  3. Neuron Nets(ニューラル・ネットワーク)
  4. Theory of the Size of a Calculation(計算規模の理論)
  5. Self-Improvement(自己改善)
  6. Abstractions(抽象化)
  7. Randomness and Creativity(無作為性と創造性)

 今日の理解では1はちょっと不思議に聞こえますが、おそらく当時は一般的だった複雑な計算を行う計算手(Human Computer)に対応する用語だと僕は考えています。当時は、計算の手順を記述する、すなわちコンピュータ・プログラミングはまだ一般的な概念ではありませんでした。プログラミングの方法を洗練させることにより、従来の計算手の仕事を自動化するということがこの項目の意味するところであり、今日のコンピュータ・サイエンス(特にプログラミング関連)が対応していると想像しています。

2〜4は各々、自然言語処理、ニューラル・ネットワーク、計算(複雑性)理論に対応するのでしょう。特にニューラル・ネットワークは現在の深層学習(ディープ・ラーニング)に繋がる研究分野です。5〜7は「人間の知能を模倣する機械」のような知的システムに求められる要件のように思えます。

 

僕の個人的な考察 

元々、僕は個人的にAI(人工知能)とコンピュータ・サイエンス(情報工学)の関係に関心がありました。わかりやすく言えば「AIとコンピュータ・サイエンス、どちらが先に始まったの?」という素朴な疑問なんですが、McCarthy の提案書を読むとこの問いの答えが何となくわかってくるような気がします。

まず、この提案書では "Human Brain" という表現が度々登場します。これは1950年代にブームだったサイバネティックスの影響かと思います。提唱者である Norbert Wiener が「動物と機械における制御とコミュニケーションの科学的研究」と定義したこの学際的な研究ムーブメントにおいて「コンピュータによる人間の頭脳の再現」は1つの(重要な)研究課題と目されていました。もっとも、人間そのものを研究対象とする医学、生理学、心理学の専門家とコンピュータを研究対象とする数学、工学の専門家の間には大きなギャップがあったようです。例えば、デジタル・コンピュータがプロダクトとして社会に初めて登場した1950年代において、その仕組みや技術的な革新性について正しく理解することなく、漠然と想像された人間の頭脳との対比について議論をふっかけられるとしたら、数学者や工学者はある種の苛立ちを感じるのではないかと僕個人的には想像できます。特に当時のコンピュータはその巨大な見かけとは裏腹に利用方法は煩雑で計算性能も低かったことから、コンピュータを使って頭脳のメカニズムを正確に再現する方法を確立するためには多くの模索が必要でした。

オートマトンやニューラル・ネットワークといったサイバネティックス由来の幾つかの有望なアイデアを集めて、頭脳の再現方法を議論することがミーティングを企画した McCarthy の真の狙いだったのではないか?と僕は考えています。事実、この提案書にはサイバネティックスという言葉は登場しません。サイバネティックスの考え方は継承するも、その方法論に関する数学や工学の専門家に閉じた議論であることを明示するため、それに変わるタイトルとしてAI(人工知能)という新しい用語が捻り出されたのではないかと想像しています。

そう考えて提案書に掲げられている7つの課題を見ると「1956年の段階ではAIとコンピュータ・サイエンスは裏表の関係にある1つの研究領域だった」のかもしれませんね。

 

50年後のMcCarthyの見解

では、実際に McCarthy はダートマス会議についてどのような感想を持っていたのか?を調べてみたところ、彼が教鞭を執ったスタンフォード大学のサイトで以下の文章を発見しました。

www-formal.stanford.edu

この文章は "AI -- PAST AND FUTURE" と名付けらた原稿の一部で、日付は 2006-10-30となっており、ダートマス会議50周年記念イベントの AI@50 の直後のようです。著者は McCarthy 自身で、明らかに書きかけの原稿なのですが、内容を見るとダートマス会議の当事者でないとわからないような内幕が語られています。全文はオリジナルを見ていただくとして…

会議は当初の期待通りには進まなかったとMcCarthy は述べています。

The original idea of the proposal was that the participants would spend two months at Dartmouth working collectively on AI, and we hoped would make substantial advances.

It didn't work that way for three reasons. First the Rockefeller Foundation only gave us half the meney we asked for. Second, and this is the main reason, the participants all had their own research agendas and weren't much deflected from them. Therefore, the participants came to Dartmouth at varied times and for varying lengths of time.

この提案の当初のアイデアは、参加者がダートマスで2か月かけてAIに取り組むことであり、大幅な進歩が期待されるというものでした。

しかし、それは3つの理由で期待通りにはなりませんでした。第1に、ロックフェラー財団は私達が要求した予算の半分しか提供しなかったこと。第2に、これが主な理由ですが、参加者全員が既に彼ら自身の研究課題を持ち、その他の課題にあまり関心を示さなかったこと。それ故に第3に、参加者は好きな時間にダートマスにやって来て、関心のあるイベントが終わると帰ってしまったことが挙げられます。

この記述からは McCarthy がダートマス会議についてサイバネティックスの討論で有名なメイシー会議の再現を目論んでいたのではないかと僕は想像しています。メイシー会議は招待制の学術会議で、発表者は研究中の(未発表の)研究について発表し、参加者全員で討論されたと言います。平たく言えば大学の研究室の合宿に近いイメージでしょうか?しかし、上記のMcCarthy のコメントから判断すると、実際のダートマス会議では招待制は導入できなかったようです。ロックフェラー財団助成金をケチったことが原因だったのかもしれませんね。

さらに McCarthy は次のようなコメントもしています。

Two people who might have played important roles at Dartmouth were Alan Turing, who first uderstood that programming computers was the main way to realize AI, and John von Neumann. Turing had died in 1954, and by the summer of 1956 von Neumann was already ill from the cancer that killed him early in 1957.

Dartmouthで重要な役割を果たしたかもしれない2人は、プログラミングコンピュータがAIを実現するための主要な方法であると最初に理解した Alan Turing と John von Neumann でした。Turing は1954年に亡くなり、von Neumann は1956年の夏には癌で闘病生活を送っていました。 

各々、オートマトンチューリング・マシンで突出した研究業績を既に挙げていた二人の不参加は、研究的議論を牽引するリーダーがダートマスでは不在であったことを物語っています。確かに von Neumann は1950年代に入ると Wiener と袂を分かちサイバネティックスからは距離をおいて、頭脳を形式化する試みとしてオートマトンの研究へと進んでいたと言われています。もし彼がダートマス会議に参加していれば、会議の意義や成果、あるいはその後への影響は全く違ったものになったかもしれません。もっとも彼らが参加できなかった事により、第2次世界大戦の戦中派が支えたサイバネティックスから戦後派が支えるAI(人工知能)へと研究の世代交代がスムーズに進んだことも事実でしょう。

最後にダートマス会議の意義についてMcCarthyは次のように語っています。

I think the main thing was the concept of artificial intelligence as a branch of science. Just this inspired many people to pursue AI goals in their own ways.

My hope for a breakthrough towards human-level AI was not realized at Dartmouth, and while AI has advanced enormously in the last 50 years, I think new ideas are still required for the breakthrough.

もっとも重要なことは人工知能の概念が科学の一分野として認知されるようになった事にあると私は思います。これだけで、多くの人々が自分たちのやり方でAIの目標を追求するようになりました。

人間レベルのAIに向けて突破する私の望みはダートマスでは実現できませんでした。さらにAIはこの50年間で飛躍的に進歩しましたが、この課題を突破するにはまだまだ新しいアイデアが必要だと思います。

結局 McCarthy 自身もAI(人工知能)という名前が社会に広く認知されるようになった事がダートマス会議の最大の成果だったと認めているようです。さらにAI(人工知能)が今もって見果てぬ夢であることも。

 

ということで…

 

60年あまり前から存在するAI(人工知能)という言葉は、近未来的なイメージを想起させる究極のバズワードとして今もなお君臨しています。命名者の McCarthy の意図をはるかに超え、哲学や宗教といった世界にまで独り歩きするようになったこの言葉は人類共通の夢のひとつであるでしょうし、故に肯定的・否定的いずれもの意見が途切れずに寄せられ続けることも、ある意味では当然のことかもしれないと思います。

ふと考えるのですが「仮に McCarthy が夢想した人間レベルのAIが現実のものになったとしたら、果たして人類はそれを受け入れられるのだろうか?」といったことを個人的には考えたりしますが…そんなことは当面起こりそうにもないのでしょう。それまでは第4次、第5次とブームが繰り返されるような気がします。

 

PS 本ページを執筆するに際し、次の書籍を参考にしました。AI(人工知能)の起源について詳しい歴史が知りたい方にはお勧めです。

 

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