備忘録:ブログで扱ったSFとAIのトピックの年表
藤田昭人
前回 の告知で「序章はそろそろ一旦区切りにして本編に戻る」と宣言したのですが、 これまで半年近く書きつられてきた事がどういう脈絡なのか 書いてる本人にもわからなくなってきてしまったので 年表に整理してみました(笑)
AI(人工知能)に関わるトピックはボールドで それ以外の情報系のトピックはイタリックで プレーンなフォントはSF関連のトピックで書いてあります。 (アイザック・アシモフのポジトロニック・ロボット・シリーズの単行本2冊の出版はアンダーラインを引きました)
右端の「*」マークには登場するブログ記事へのリンクが貼ってあります。 「ー」マークは「ブログでは触れたけど記事として掘り下げてないトピック」を示してあります。 なお「空白」は「今後、記事として書くかもしれない」トピックです。
もちろん、僕はAI(人工知能)の本を書こうとしているので、 その起点は1956年のダートマス会議になるのですが、 序章ではその背景を概観するつもりでした。 が、見通しが甘くてこづってしまった…という事です。 僕の印象では3つの系譜があったように(今のところは)理解しています。
その1つは 前編 と 中編 で扱った原子爆弾の研究開発の系譜です。その功罪はともかく、 原子爆弾が第2時世界大戦期の最大の科学技術成果であることは事実で、その後も ヴァネヴァー・ブッシュ が強力に推し進めた「国家が先端科学技術の研究開発を積極的に支援する」体制は 先端科学技術の研究開発をファンダメンタルな部分(特に資金面で)を支え続けていることは否めません *1。
2つ目は、宇宙開発の系譜です。ロケットと人工知能は直接結びつかない印象がありますが、 ロケットに乗ってた宇宙旅行をするには「計算する機械」の高度化や小型化が必要でした。 つまり今日の「情報技術」を必要とする直接の(強い)要因は宇宙開発だったと僕は考えてます。 この系譜での主役は間違いなく ヴェルナー・フォン・ブラウン なんだと思います。彼の成果と言えば、ナチス・ドイツでの 「V2」 とNASAのアポロ計画での 「サターンロケット」 が一般にはよく知られていますが、 今回、序章を書くために調べたところ、 その間の時期、つまり1945年〜1961年の彼の活動こそ、 技術開発の系譜として書くべき事が多いように思いました。 なぜなら、どんな技術もある日突然出来上がる訳ではないからです。 とは言え、人工知能のお話から大きく逸脱してしまうので、棚上げする事にしました。 もし、この本が出版される事になれば、その際にちょこっと書き下ろすかもしれません。 あるいはロケット開発をテーマにした別の書籍を企画してもいい。 それぐらい、ロケットという技術領域は奥が深いように感じてます。
最後は「考える機械」の系譜。このトピックではまず サイバネティックス が語られることが多い。というのも今日大ブームの機械学習の起点でもありますから。 が、実際には生理学や心理学などの専門家による学際的な試みだったようですし、一般にはこのアクティビティの中心人物とされる ノーバート・ウィーナー も我々がイメージするほど指導的な立場ではなかったようです。 ともあれ、サイバネティックス研究では「思考するメカニズム」とシーズベースで考える取り組みだったようで、 人工知能のビジョンを提示するようなものではなかったように僕は感じました。 「それでは人工知能のビジョンはどこから来たのだろうか?」 という考察について書いたのが「序章 後編」で扱った「SFとAI」です。
- 宇宙を舞台にしたサイエンス・フィクション
- サイエンス・フィクションの起源
- アンドロイドの起源
- サイエンス・フィクションのゴールデン・エイジ
- AI(人工知能)を予感させる架空の技術:ポジトロニック・ブレイン
ここでも僕はまたまた大回りしちゃったんですが(笑)最後の アイザック・アシモフ のポジトロニック・ロボット・シリーズのお話でどうにか帳尻があったというか…
ロボット工学三原則のおかげでアシモフのポジトロニック・ロボット・シリーズは深みのあるSF小説となり、 人間と「考える機械」の関わりとその問題点を当時のティーンエイジャにも非常にわかりやすく伝えられました。 これが「人工知能」への関心を育んだ事は間違いないと僕は考えています。年表を眺めると、 アシモフは1940年代〜1950年代を通して途切れる事なくポジトロニック・ロボット・シリーズの作品を発表してます。 このようなロボットを作る事を夢みた少年・少女が第1次AIブームの主役だったのではないでしょうか?
で、アシモフの2冊目の単行本「ロボットの時代」が出版された1964年あたりが、 このブームのピークに達したように見えます。翌年の1965年にはヒューバート・ドレイファスの 論文「錬金術と人工知能」(”Alchemy and Artificial Intelligence")が(たぶん密かに)報告されています。 さらにその翌年の1966年には人工知能の主要命題だった機械翻訳を否定したALPACレポートが公になりました。 人工知能批判の始まりです。
そして、人工知能の開発を夢みるジョン・マッカーシやマービン・ミンスキーよりも ずっと大人だったジョゼフ・ワイゼンバウムが必要に迫られて ELIZA を作ってしまったために、 当時のこの熱狂に引きづり込まれてしまった。数年間の沈黙ののち、 ワイゼンバウムは当時のAIブームを沈黙させた書籍 Computer Power and Human Reason を出版します…
…といった展開を考えているのですが、 文献の洗い直しにもちょっと時間がかかりそうですし、 勉強会には若い世代にも来て欲しいと考えているので、 まずは彼らが関心のありそうな JavaScript 版 ELIZA の話を数回することから始めたいと考えてます。
以上
*1:もっとも、2000年以降の Google の成功以来、 国家ではない組織、端的に言えばGAFAの出現が、 ここ20年間くらいの国家による先端科学技術研究の支援を揺さぶって来たのは事実です。
今日、GDPRなど彼らの活動を規制する方向性が顕著になってきている事は皆さん良くご存知でしょう。 特に20代〜30代のGAFAの存在が大前提になっている若い方々にとっては想像が難しいかもしれませんが、 今、大きなパラダイム・シフトが起こりつつあるように僕は理解しています。
個人的にはその是非については今後の議論を待ちたいところですが、 明らかなのはやはり「先端技術はプロメテウスの火である」という事と 「その研究開発はスポンサーの立場や意向によって異なる功罪が発生する」という事かと思います。
世の中には、この「プロメテウスの火」をGAFAが掌中に収めていることが 貧富の二極化の本質的な原因であり是正する必要があると考えている人は増えてますし、 なかには社会主義による国家運営の再考を主張する人も出てきているそうですから。 これは「歴史」という視点や文脈で見ると過去に何度も起こった出来事ですよね?