サイエンス・フィクションのゴールデン・エイジ

〜遅ればせながら、序章めいたものを(後編その4)〜


2019/08/18
藤田昭人


SFをテーマにした「序章 後編その4」の本稿では、 SFのゴールデン・エイジについて紹介したいと思います。 後編その1 では「第2次世界大戦が終わった1940年代後半のアメリカではSFのブームが到来し、そこから1950年代を通してこのブームは拡大した」と紹介しましたが、 このSFブームを支えたのがゴールデン・エイジと呼ばれるSF作家たちです。 ちょっと長くなり過ぎてますが内容的にぶった切りたくないのでまんま長編で公開します。

個人的な思い出話になっちゃいますが…

僕にとって、この「子供向けと考えられてた作品が表現の範囲を広げて大人の読者の支持を獲得していく」様は、 1960年代後半、僕が小学二年生あたりに目の当たりにした漫画の表現の多様化のムーブメントを彷彿させます *1

小学生の頃の僕のいとこは中学生、高校生、大学生と揃っていてまして、 お盆や正月に父親の実家に帰ると彼らと顔を合わせるのですが、飛び抜けてチビだったのでいつもからかいの対象でした。 おそらく1968年〜1969年だと思いますが、畳の部屋に無造作に置かれていたコミック本を開いてみてビックリ。 それが『カムイ伝』の単行本で、僕がいわゆる青年漫画を初めてみる機会でした。 その日の夕食の際も大学生と高校生のいとこが熱く語っているので、恐る恐る「漫画の話なんでしょ?」と聞くと 「そうだよ…あぁ、でもお前にはまだ早いかな?」と笑われて、ムスッとなった記憶があります。 以前、彼らを拝み倒して『サイボーグ009』を単行本の第1巻と第2巻をせしめたのですが、 さすがに『カムイ伝』は「何が面白いんだ?」…との思いとは裏腹に強い衝撃を受けたのでした。 もちろん 長井勝一 が創刊した伝説の漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』 も彼らに見せてもらいました。そこに掲載されている「小学生には意味がわからない不思議な漫画」の数々。 「僕の知らないところで何かが起きている!!」感があったのです。

…なので「同じようなことが1940年代のアメリカにも起こった?」と少し興味本位な気分で本稿を書いています(笑)


パルプ・マガジンのブーム

20世紀初頭、ヨーロッパでウェルズ、チャペック、ラングが活躍していた頃、 アメリカでは パルプ・マガジンPulp Magazine) が大流行していました。パルプ・マガジンといえば、クエンティン・タランティーノの映画 「パルプフィクション」 を僕は思い出します。

en.wikipedia.org

この黒髪の(ウィッグを付けた?)ユマ・サーマンのパルプ・マガジンの表紙を模した映画ポスターは、 この大衆向けメディアの低俗な話、くだらない話、三文小説、大衆小説といった猥雑な空気感を醸し出してますよね(笑)

このパルプ・マガジンにSF小説が登場したのは、1926年のSF小説専門誌 "Amazing Stories" (アメージング・ストーリーズ) の創刊からなんだそうです。 ちなみに、この時期(1920年代〜1930年代)のパルプ・マガジンは隆盛を極めており、もっとも売れた号の発行部数は100万部だそうで、 これは雑誌 "The New Yorker" が 1925 年に叩き出した過去最高の発行部数 1,043,792 部に匹敵します。 パルプ・マガジンは発行にかかるコストも低かったことから、無数のタイトルが創刊と休刊・廃刊を繰り返す乱立状態で、最盛期には 150 タイトルも流通したとか。 そう考えると(そもそもエドガー・アラン・ポーが不評だった)アメリカでは馴染みの薄かった(と思われる)SF小説の専門誌を創刊することも それほど無茶な企画ではなかったのかも知れませんね。

『アメージング・ストーリーズ』の成功から、その後類似のSF専門誌も多数創刊され、1930年代には凌ぎを削る状況になりました。 当時『アメージング・ストーリーズ』と競合していた人気雑誌には "Weird Tales" (ウィアード・テイルズ) "Astounding Stories" (アスタウンディング・ストーリーズ) "Wonder Stories" (ワンダー・ストーリーズ) などがあります。このパルプ・マガジンの乱立状態がSFの ゴールデンエイジGolden Age of Science Fiction) を育む場を提供しました。


サイエンス・フィクションのゴールデン・エイジ

さて、そのSFのゴールデン・エイジ。 この言葉がSFブームのムーブメントを意味するのか?それともムーブメントを支えたSF小説家の集団を意味するのか? 今ひとつわかりづらいのですが、その始まりもあまり定かではないようです。 古くからの(カルト的な)SFファンの間では 世界SF大会Worldcon) の第1回大会が開催された1939年あたりからという説が有力なんだそうですが、 大手出版社が参入して「SF」という独自の市場が確立された1950年代あたりからが 「真のゴールデン・エイジ」と主張する人もいるそうです。 また終わりはパルプ・マガジンが衰退していった1950年代とほぼ同期しているようで、 SFの場合は代表的な雑誌であった『アスタウンディング・ストーリーズ』が タイトルを『アナログ・サイエンス・フィクション&ファクト』に変更した1960年がゴールデン・エイジの終焉とする説が有力なんだそうです。

Wikipediaには ゴールデン・エイジ期の著名なSF作家 がリストアップされてますが、僕が知っている作家と言えば ロバート・A・ハインラインRobert A. Heinlein, 1907〜1988) 、 アイザック・アシモフIsaac Asimov, 1920〜1992) 、 アーサー・C・クラークArthur C. Clarke, 1917〜2008) あたり。いずれも ハヤカワ文庫 に古典として収蔵されているSF作品を書いた巨匠として知られている小説家です。 いずれもみな、ゴールデン・エイジの際に作家として頭角を表したそうです。 なかでもアイザック・アシモフロボット工学三原則Three Laws of Robotics) を示したSF作家として人工知能関連の話題でも、名前がよく登場しますよね? *2

どうもゴールデン・エイジのザックリした期間は1940年代〜1950年代と考えれば良さそうです。 が、この期間には太平洋戦争(1941〜1945)が発生しました。 戦争の影響でパルプ・マガジンを印刷するための紙が無くなったり、 当時は無名だったSF作家たちが軍務についたり *3 …と事実上の活動停止状態に追い込まれたので、 場合によっては1945年と1946年の間を境に前期と後期と分けられる事もあるようです。

ゴールデン・エイジで特筆すべきトピックと言えば1947年に発表されたハイラインの小説 『地球の緑の丘』 (The Green Hills of Earth) です。この作品が掲載されたのが19世紀に創刊された名門週刊誌の サタデー・イブニング・ポストThe Saturday Evening Post) だったことから「SF小説が市民権を得た」あるいは 「パルプ・ゲットーから最初に抜け出たSF小説家」などとSFコミュニティ界隈で盛んに喧伝されたとか。

ハイラインはSF作家としては初めてインディーズからメジャーに昇格した訳ですが、 視点を変えるとアメリカでもこの頃からSFは商業価値のある文芸ジャンルとなったと言えるでしょう。 前述の「真のゴールデン・エイジ」論とも 後編その1 で紹介した1950年の スペース・パトロール のヒットとも時期的に合致します。これは、エドガー・アラン・ポーが書いた 初のSF作品 が出版されてから110年後の出来事でもありました。


SF界のダースベーダー

小説、音楽、漫画、それからたぶんアイドルとかもそうなんだろうけど、 いずれもメジャーに昇格するためにはファンの支持を(出来るだけ多く)獲得することが必須の条件である事は今も昔も変わらないのでしょう。 そのためにはファンになってくれそうな人たちの目に触れるような活動できる場が必要なのも同じです。

アメリカのSFの黎明期の場合、無数に発行されていたパルプ・マガジンがその役割を果たしていました。 ゴールデン・エイジが始まったとされる1930年代末、SFファンなら誰もが注目していた雑誌は 「アスタウンディング・サイエンス・フィクション」 (Astounding Science Fiction) でした。その編集長 ジョン・W・キャンベルJohn W. Campbell, 1910〜1971) こそ、ゴールデン・エイジを生み出した伝説の人物なんだそうです。 キャンベルと親交の深かったアイザック・アシモフによれば 「SF史上最強のフォース」であり 「編集者としての彼の最初の10年間はその分野(SFコミュニティ)を完全に支配していた」 とのこと。まるでスターウォーズダースベーダーような紹介です *4

By his own example and by his instruction and by his undeviating and persisting insistence, he forced first Astounding and then all science fiction into his mold. He abandoned the earlier orientation of the field. He demolished the stock characters who had filled it; eradicated the penny dreadful plots; extirpated the Sunday-supplement science. In a phrase, he blotted out the purple of pulp. Instead, he demanded that science-fiction writers understand science and understand people, a hard requirement that many of the established writers of the 1930s could not meet. Campbell did not compromise because of that: those who could not meet his requirements could not sell to him, and the carnage was as great as it had been in Hollywood a decade before, while silent movies had given way to the talkies.

彼自身の模範と、彼の指導と、彼の逸脱しない持続的な主張によって、まずアストウンディングを、それからすべてのSF雑誌を自分の型に嵌めていった。彼はその分野の初期の方向性を捨てさせた。そこに埋もれるお定まりの登場人物を抹殺し、三文小説風のプロットを排除し、(新聞の)日曜版科学(記事のような記述)を根絶した。一言で言えば、彼はパルプの紫色を消した。その代わり、彼はSF作家に科学を理解させ、人々にも理解させることを要求したが、これは1930年代の著名な作家の多くが満たすことのできない厳しい要求だった。キャンベルはそのために妥協しなかった。彼の要求を満たせない人たちは彼に売ることができず、この大虐殺は10年前のハリウッドでの無声映画がトーキーに取って代わられた大虐殺と同じくらい大きかった。

今日の感覚では、確かに業界に君臨する帝王のような暴君ぶりですね。 キャンベルがこのようにSF作家の執筆に深く関与することができたのは、 彼自身にもSF作家としてのキャリアがあったからなんでしょう。

もちろん、このキャンベルの編集者としての(少々強引な)姿勢については賛否があった訳ですが、 彼の徹底した科学志向が当時のSF作家の力量を大きく引き上げた事は否定できません。 彼の過酷な洗礼を受けた気の毒なSF作家にはハイラインやアシモフ、クラークなど後のSF界の巨匠も含まれます。 アストウンディングの頃のアシモフはまだ大学生だったらしく、 キャンベルにどっぷりと取り込まれていたことを認めてます。 アシモフより少しトウのたったハイラインはキャンベルからの影響を完全否定しているとのこと。 作家側の受け止め方も様々だったのだったようです。


小説「デッドライン」のインパク

キャンベルの作家と編集者の二人三脚のような執筆スタイルが生み出したもっとも創造的な事例が小説「デッドライン」でした。 この小説、今日ではクリーヴ・カートミル事件と呼ばれているFBIが介入するトラブルを引き起こしました。 その顛末についてアシモフは次のように概略を語っています。

One example of the type of speculative but plausible science fiction that Campbell demanded from his writers is "Deadline", a short story by Cleve Cartmill that appeared during the wartime year of 1944, a year before the detonation of the first atomic bomb. As Ben Bova, Campbell's successor as editor at Analog, wrote, it "described the basic facts of how to build an atomic bomb. Cartmill and Campbell worked together on the story, drawing their scientific information from papers published in the technical journals before the war. To them, the mechanics of constructing a uranium-fission bomb seemed perfectly obvious." The FBI descended on Campbell's office after the story appeared in print and demanded that the issue be removed from the newsstands. Campbell convinced them that by removing the magazine "the FBI would be advertising to everyone that such a project existed and was aimed at developing nuclear weapons" and the demand was dropped.

キャンベルが要求した思索的でもっともらしいSFのタイプの典型として、Cleve Cartmill の短編 "Deadline" がある。これは1944年、史上初の核兵器が投下される1年前の作品である。(のちにアストウンディングから改題した)『Analog』誌の編集長としてキャンベルの後継者となった Ben Bova は、この作品について「原子爆弾の基本的製造法を解説したもので、戦前の科学専門誌に掲載された論文から得た科学情報を駆使してキャンベルと作者が構築したものである。彼らにとって、ウラニウム爆弾の構造は完全に明らかだったようだ」と記している。この小説が掲載された雑誌が発売されると、FBIがキャンベルのオフィスを急襲し、販売停止を要求した。キャンベルは、雑誌を販売禁止にしたら原子爆弾開発プロジェクトがあることを一般に宣伝するようなものだと言って、FBIを納得させた。

クリーヴ・カートミル (Cleve Cartmill, 1908〜1964) は、アメリカが第2次世界大戦に本格的に参戦した 1941 年あたりから執筆し始めた駆け出しのSF作家でした。 当時、アストウンディングの常連の作家たちが徴兵により軍務に就いていたため、 ネタ不足に悩まされていたキャンベルは身体上の理由に徴兵を免れていたカートミルを起用したようです。

また、小説「デッドライン」 ( "Deadline", Astounding Science Fiction (March 1944)) は 1943 年にカートミルがキャンベルに「未来の超爆弾」に関する小説を提案したことから始まったと言われています。 小説はアストウンディング 1944 年3月号に掲載されました。 この号は現在 Internet Archive に収蔵されており、以下のリンクで参照できます。

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小説『Deadline』の表紙

この小説が雑誌に掲載された 1944 年3月号というと、 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線では ノルマンディー上陸作戦 のD-Day(1944年6月6日)の3ヶ月前、 太平洋戦線では「史上稀に見る無謀な作戦」として名高い旧日本陸軍による インパール作戦 が発動された時期になります。

Wikipediaマンハッタン計画の年表Timeline of the Manhattan Project) によれば、前年にオークリッジでウラン濃縮のプラントが稼働し始めてました。 一方「プルトニウムガンバレル型の原爆に使用するのは不適当」なことが発見された時期、 すなわち原子爆弾ではトップシークレットだった爆縮レンズの開発はまだ始まっていなかったようです。 したがって、この段階では広島に投下されたウランを用いたガンバレル方式の原爆 リトルボーイLittle Boy) 以外、原子爆弾の実現性は暗中模索の状態にあったと思われます。

そんな時期にトップシークレットであるはずのリトルボーイの実現に寄与した ウランの同位体分離による濃縮方法やそれにより完成にした新型爆弾の効果について 詳細に記述されたSF小説がパルプ・マガジンで発表された訳ですから、 マンハッタン計画の化学拠点であるロスアラモス研究所は大混乱に陥った事は想像するに難くないでしょう。水爆の父である エドワード・テラーEdward Teller, 1908〜2003) は、その混乱ぶりを次のように語ったそうです *5

Cleve Cartmill's "Deadline" provoked astonishment in the lunch table discussions at Los Alamos. It really did describe isotope separation and the bomb itself in detail, and raised as its principal plot pivot the issue the physicists were then debating among themselves: should the Allies use it? To the physicists from many countries clustered in the high mountain strangeness of New Mexico, cut off from their familiar sources of humanist learning, it must have seemed particularly striking that Cartmill described an allied effort, a joint responsibility laid upon many nations.

Discussion of Cartmill's "Deadline" was significant. The story's detail was remarkable, its sentiments even more so. Did this rather obscure story hint at what the American public really thought about such a superweapon, or would think if they only knew?

Talk attracts attention, Teller recalled a security officer who took a decided interest, making notes, saying little. In retrospect, it was easy to see what a wartime intelligence monitor would make of the physicists' conversations. Who was this guy Cartmill, anyway? Where did he get these details? Who tipped him to the isotope separation problem? "and that is why Mr. Campbell received his visitors.

クリーブ・カートミルの『デッドライン』は、ロスアラモスでの昼食会の討議で驚きを誘った。同位体分離と爆弾そのものを詳細に記述していて、物理学者たちが議論していた問題を中心にして提起していたからだ。多くの国の物理学者が、ニューメキシコの山奥の奇妙な世界に集まって、おなじみの人道的見地の源泉から切り離されていることを考えると、カートミルが多くの国に課せられた共同責任という連合した努力を説明したことは、とりわけ衝撃的だったに違いない。

カートミルの『デッドライン』に関する考察は重要であった。その話の詳細は驚くべきもので、その感情はなおさらそうだった。このかなり曖昧な話は、アメリカ国民がそのような超兵器について本当に考えていたことを暗示していたのだろうか?それとも彼らが知ってさえいれば考えていたのだろうか?

科学者の議論が注目を集めているが、特定のテーマに興味を持ってメモを取っていたが、ほとんど何も言わなかった警備員をテラーは思い出した。振り返ってみると、戦時中の情報監視官が物理学者の会話をどう解釈するかは容易に理解できた。ところで、このカートミルという男は誰だったのか?彼は、どこでこれらの詳細を得たのか?彼に同位体分離の問題を教えたのは誰か?キャンベル氏が来訪者を迎えたのもそのためである。

テラーのこの証言には3つのポイントがあります。

  • ナチスドイツが原爆開発を断念したとの情報は1944年11月にもたらされました *6。一般には、この情報の到着を契機にマンハッタン計画に参加する科学者の間で原子爆弾の使用の是非の議論が始まった事が知られていますが、その8ヶ月前に発表された『デッドライン』には「核の国際管理」などを示唆する内容が含まれていたことから、科学者の議論を促す要因の1つに成り得たことです。
  • 科学者の議論に同席していた警備員こそが軍の情報監視官であり、事件化する発端だったことです。すなわち「クリーヴ・カートミル事件」とはマンハッタン計画の関係者による情報漏洩の嫌疑により捜査が始まったということになります。もう少しあからさまに語ると「ロスアラモスの科学者のトップエリートたちの高度に専門的な議論を三流雑誌のパルプ・マガジンの作家や編集者が理解している筈がない」という思い込みで捜査に踏み切った訳です。
  • テラーは明確には語ってないですが(おそらく気づいてなかったと思いますが)マンハッタン計画に参加する科学者には相当数のアストウンディングの読者がいたと思われる事です。これは、ニューメキシコと言った辺鄙な場所で急に読者が増え始めたことから、少なくともキャンベルはそこで何かが始まったことに気づいていたと考えられます。

マンハッタン計画を管轄していた米陸軍からの要請を受けて、 FBIがカートミルとアストウンディングの編集部に対する情報漏洩の捜査を開始しました。 後にマンハッタン計画での情報漏洩の真相が明らかになってますが、 雑誌『アストウンディング』に掲載されたこの短編小説とは全く無関係でした *7


クリーヴ・カートミル事件の真相

実は、クリーヴ・カートミル事件は長らくSFファンの間での噂話以上にはなりませんでした。 というのも軍は捜査はしたものの、カートミルやキャンベルを訴追しなかったからです。 アシモフなど事情を知る何人かが事件について言及していましたが、半ば都市伝説のような扱いだったそうです。

ですが、2001年の機密解除により、この事件の捜査資料が情報公開法を使って入手可能となりました。SF作家の ロバート・シルヴァーバーグRobert Silverberg, 1935〜) は捜査資料を元にレポートを書きました。このレポートは2003年の9月と10月の2回に分けて アシモフズ・サイエンス・フィクションAsimov's Science Fiction) に掲載されました。現在 Internet Archive に収蔵されており次のとおり閲覧できます。

捜査の詳細についてはシルヴァーバーグのレポートを読んでもらうこととして、 本稿ではいくつかの基本的な疑問について掻い摘んで紹介します。


小説『デッドライン』を書いたのは誰か?

捜査資料にはこの短編小説が書かれた経緯が記述されていたそうです。 というのもアストウンディングの編集部はニューヨークに所在していたのですが、 クリーヴ・カートミルはカリフォルニアのマンハッタンビーチ在住だったからです。 おそらく小説に関わる相談は文通で行われたのでしょう。

レポートでは「カートミルが超爆弾に関する小説を提案した」と断定しています。 しかし、その超爆弾を核兵器としたのはキャンベルだったようで、 彼は核分裂性を持つU-235の存在やそれを抽出するための「新しい原子同位体分離法」が既に確立している事を承知していたようです。

They have quantities measured in pounds. They have not brought the whole amount together, or any major portion of it. Because they are not at all sure that, once started, it would stop its reaction until all of it had been consumed . . . . They’re afraid that that explosion of energy would be so incomparably violent . . . . that surrounding matter would be set off . . . . And that would be serious. That would blow an island, or hunk of a continent, right off the planet. It would shake the whole Earth, cause earthquakes of intensity sufficient to do damage on the other side of the planet, and utterly destroy everything within thousands of miles of the site of the explosion.

既にポンドで測定できるほどの量があるが、その全量、またその大部分をまとめてはいない。なぜなら、いったん開始してしまえば、それがすべて消費されるまで反応を止めることができるかどうか、まったく確信がないからである....彼らは、そのエネルギーの爆発が比較にならないほど破壊的になることを恐れている....周囲の物質が発火し....それは深刻だ。そうなれば、地球から離れた島や大陸の塊を吹き飛ばすことになる。それは地球全体を揺さぶり、地球の反対側にダメージを与えるのに十分な強さの地震を引き起こし、爆発現場から数千マイル以内のすべてを完全に破壊するだろう

おそらく書簡に書かれたこの発言から、キャンベルが核分裂により発生するエネルギーの規模や 兵器として活用した時の破壊力について正確に把握していたことが伺えます。

さらに小説の骨格となるプロットについてもキャンベルは踏み込んだ発言をしていたようです。

one way to handle the theme might be to postulate a war on some other planet between powers comparable to the Axis (Them) and the Allies (Us) of World War II, in which the Axis, facing defeat, had decided to set off an experimental A-bomb regardless of consequences. I think the story would be the adventure of the secret agent who was assigned to save the day–to destroy that bomb.

この問題を扱うひとつの方法は第二次世界大戦において枢軸国(敵)と連合国(我)に匹敵する勢力の間で他の惑星に戦争を起こすことであり、枢軸国は敗北に直面し、その結果にかかわらず実験用原子爆弾を爆発させることを決定したのではないか?この物語は、その日を救うため、つまりその爆弾を破壊するために任命された諜報員の冒険になると思う。

このようなキャンベルの返答に対し、 カートミルはさらに次のような質問をしています。

Wouldn’t the consequent explosion set up other atomic imbalances, which in turn–and so on, until the whole damned planet went up in dust? . . . How do you control the explosion time of such a bomb? Isn’t it, once it has been assembled, trying each instant to blow itself apart? . . .In other words, where’s the trigger or fuse? . . . You see, I want to know how to make a U-235 bomb, so that I’ll know how to destroy it, because I think that will be highly entertaining reading. Keeping an eye, of course, on what should or should not be told for social, military, or political reasons.

その結果として起こった爆発は、他の原子の不均衡を引き起こし、その不均衡は、この忌まわしい惑星全体が塵と化してしまうまで続くのではないでしょうか?...そのような爆弾の爆発時間はどのように制御するのですか?いったん組み立てたら、瞬間ごとに自分を吹き飛ばそうとしているのではありませんか?...つまり、トリガーあるいはヒューズはどこにあるんでしょうか?...私はU-235爆弾の作り方を知りたいし、それを破壊する方法も知りたい。なぜなら、それはとても面白い読み物になると思うからです。もちろん、社会的、軍事的、政治的な理由で何を話すべきか、何を言わないべきかについて目を光らせておくことも必要ですが。

その返事としてキャンベルは原子爆弾の組み立て方、その引き金の引き方、そして原子爆弾の起こりうる結果についてカートミルに説明したようです。 それはおそらくWikipedia原子爆弾の理論と構造 として記載されているような内容だったように思います。

カートミルは執筆した草稿の表現の正確さについてキャンベルに都度確認を入れていたようです。

Two cast-iron hemispheres, clamped over the orange segments of cadmium alloy. And the fuse – I see it is in – a tiny can of cadmium in a beryllium holder and a small explosive powerful enough to shatter the cadmium walls. Then – correct me if I’m wrong, will you? – the powdered uranium oxide runs together in the central cavity. The radium shoots neutrons into this mass–and the U-235 takes over from there. Right?

カドミウム合金のオレンジ色のセグメントの上に固定された2つの鋳鉄半球。ヒューズは、ベリリウムのホルダーに入ったカドミウムの小さな缶と、カドミウムの壁を破壊するほど強力な小型爆弾だ。(私が間違っていたら直してくれますか?)次に、粉末状の酸化ウランが中央の空洞に集まっている。ラジウムはこの質量に中性子を入射し、U-235がその質量を引き継ぐ。(そうですよね?)

以上のことから、小説『デッドライン』をわかりやすく説明すると 「原作キャンベル、作文カートミル」と言った漫画ではありがちなコンビネーションで創作されたことが想像されます。 ちなみに、カートミルはダークなファンタジー作品を得意とするSF作家で、優しい口語的で流暢な語り口に特徴があったとか。 キャンベルの小難しい理論をわかりやすく説明するにはうってつけのライターだったのかもしれません。 もっとも掲載されたアストウンディングの1944年3月号の読者の人気投票では、『デッドライン』は6作中最下位だったそうですが…


マンハッタン計画からの核兵器に関する専門的な技術情報の漏洩はあったのか?

都市伝説ではクリーヴ・カートミル事件の捜査を行ったのはFBIとされてましたが、 実際に捜査を行ったのは米陸軍省の対敵諜報部隊だったようです。(故に機密解除に時間を要した?)

小説『デッドライン』がマンハッタン計画を遂行していた彼らの注目を集めたのは必然でしょう。 シルヴァーバーグのレポートによれば、まずは文責を追うキャンベルに対して(尋問ではなく)ヒアリングが行われたようです。 が、この手の対人コミュニケーションではキャンベルの弱点が晒されてしまうようです。

The copy of the agent’s report, dated April 13, has Campbell’s name carefully whited out, but says that "the editor of this magazine assumed full responsibility for whatever technical disclosures appeared therein. He stated he wrote to Cleve Cartmill requesting him to write a fictional (imaginative) story around the technical material contained in the story and that Cartmill had no technical knowledge whatever." Campbell asserted, Riley said, that "the subject of Atomic Disintegration was not novel to him, since he had pursued a course in atomic physics at Massachusetts Institute of Technology in 1933."

4月13日付のエージェントの報告書のコピーは、キャンベルの名前が注意深く消されていたが、次のように書かれていた。「この雑誌の編集者は、そこに掲載されたいかなる技術的な開示についても完全な責任を負うことになった。彼はクリーヴ・カートミルに手紙を書き、ストーリーに含まれている技術的な題材について架空の(想像的な)ストーリーを書くよう依頼したが、カートミルは技術的な知識が全くなかった」と述べた。捜査官によれば、キャンベルは「私は1933年にマサチューセッツ工科大学(MIT)で原子物理学の課程を修めていたので、原子崩壊は彼にとって目新しいものではなかった」と言い張った。

実際にはMITを中退していたにも関わらず、このような強弁を繰り出すあたりが良くも悪くもキャンベルらしいところで、 インタビューにあたった捜査官には「尊大でイライラさせる態度」「少々利己的な人物」と映ったようです。 中退の事実を伏せたことから捜査官に疑念を持たれてしまっため、この件での傷口を広げてしまう結果になりました。 捜査官はキャンベルから聞き出した連絡先から、カートミルへの捜査に着手します。

カートミルへの捜査はカルフォルニアにいる別の捜査官が担当したようです。 最初はSF好きの郵便配達人を装ったエージェントをさりげなく送り込むような手の込んだアプローチが功を奏し、 カートミルは全く警戒する事なく『デッドライン』は胡散臭い話だと考えている事や もっと高級な雑誌に寄稿したいと考えている事など、SF作家としての本音を語ったそうです。

捜査上の争点となったのは、カートミルも当初は『デッドライン』を自らの物理学の知識を使って書いたと主張し、 それはキャンベルの主張と矛盾していた事でした。しかし、カルフォルニアの捜査官がコンタクトしているうちに、 カートミルは科学的な背景についてはキャンベルの助けを借りた事を認めました。 当初の発言は「他人が伝えた情報を一語一句抜き取ったことを、公には認めたくなかった」ことが理由だとも語ったそうです。 このカートミルの善良な市民ぶりが捜査官の心証を大きく改善し、キャンベルが主張するように、 小説『デッドライン』は一般に公開されている技術情報に基づいた創作である事を捜査当局も受けいれたそうです。


小説『デッドライン』が発禁処分を免れたのは何故か?

シルヴァーバーグのレポートによれば、捜査資料には陸軍省の(ウラン濃縮の工場があった)オークリッジ研究所は、小説『デッドライン』の(発禁を含む)取り扱いについて、 軍事検閲局(Military Censorship Department)に対処を依頼し、さらにその依頼は検閲局(Office of Censorship)へと伝達されたことが記述されていたそうです。 しかし、検閲局はキャンベルに対し「1943年6月28日の特別要請に関する追加資料」(additional material relating to subjects involved in our special request of June 28, 1943) を出版しないよう求めるに留めたようです。第2次世界大戦中、アメリカは 原子爆弾に関する検閲 を行っていましたが、担当官のジャック・ロックハートは民間を相手にする検閲局の運営方針について次のように語ったと捜査資料には記されていたとのこと。

We have always been reluctant to interfere with fictional material because of the impossibility of fettering the mind of man.

私たちは、人間の心を縛ることができないため、常に架空の素材に干渉することを避けてきました。

捜査資料にはこれ以上の情報はなかったそうで、検閲局の裁量で対処が行われた(つまりお叱りだけ)ということなのでしょう。 シルヴァーバーグのレポートには次の記述がありました。

Campbell always maintained that he told the censors that if he deleted all references to atomic power from his magazine, his clever readers would surely deduce that a hush-hush atom-bomb project was in the works. Maybe so. Certainly I can find no further stories about U-235 bombs in the next dozen or so issues of Astounding, though a Fritz Leiber story speaks of a world devastated by "subtronic power," a Raymond F. Jones novel mentions "gigantic atomic projectors" being used as weapons, and a Lewis Padgett story about mutants is set in a world that has been devastated by atomic war.

キャンベルは常に、自分の雑誌から原子力に関する記述をすべて削除すれば、賢明な読者はきっと、極秘の原子爆弾計画が進行中だと推測するだろうと検閲官に語っていたと主張した。そうかもしれません。確かに、次の十数号のアスタウンディング号にU-235爆弾についてのこれ以上の話は見当たらないが、Fritz Leiberの記事には「サブトロニックな力」によって荒廃した世界についての話があり、Raymond F.Jonesの小説には「巨大な原子プロジェクター」が兵器として使用されていると書かれており、Lewis Padgettの小説には原子戦争で荒廃した世界を舞台にした突然変異体についての話がある。

結局「U-235爆弾について今後は書かないが、既に発表してしまったものについては対処はしない」というキャンベル流の解釈が罷り通ったようです。


このように、小説『デッドライン』はジョン・キャンベルの徹底した科学指向がよく体現された小説でした。 確かに「敗色濃厚の敵がヤケクソで炸裂させようとしている核兵器の使用を阻止する」というプロットは少々子供じみてますが、 そこに最新の科学研究から得た知識やそれに基づく描写をふんだんに盛り込む事によりリアリティを演出する手法は 後編その2 で紹介したポー・ヴェルヌの手法を継承する20世紀のアプローチと言えるのかもしれません。 こと小説『デッドライン』に関して言えばキャンベルの持つ原子物理学に関する最新知識が大量に投入されたため、 実際の極秘研究プロジェクトの領域にまで踏み込んでしまった。 その意味では陸軍省の情報漏洩捜査はこの短編小説に科学的な正しさのお墨付きを与えたとも言えます。

これこそが、アシモフが言う「編集者としての彼の最初の10年間はその分野を完全に支配していたSF史上最強のフォース」の正体だったように僕は思います *8


ジョン・キャンベルの落日

ジョン・キャンベルは生涯、アスタウンディングの名物編集長であり続けました。 しかし、権勢を誇った1940年代とは打って変わって、1950年代以降は次第に忘れられた存在となっていきました。

その一番の理由はキャンベルにとっては皮肉な結果だったのですが、 後編その1 でも紹介した1940年代後半から始まるSFブームです。大手の雑誌にSF小説が掲載されるようになると、作家はそちらからのリクエストを優先するようになりました。誰もが「パルプ・ゲットーから最初に抜け出る」ことを目指し始めました。今時の地下アイドルがメジャーデビューを目指すのと同じ構図ですね。

もちろん、キャンベルのお気に入りのSF作家たちが彼から離れていったことには、彼自身にも理由がありました。 1950年代に入ると L・ロン・ハバードL. Ron Hubbard, 1911〜1986) の ダイアネティックスDianetics) に傾倒していきました。 *9 このような考えに付いて行けずにキャンベルの元から離れた作家も多かったそうです。 当時のキャンベルを数多の疑似科学ダイアネティックスに駆り立てたものが何だったのかはわかりませんが、 行き過ぎた科学主義がこういった落とし穴にハマってしまう例は他にも多々あるようです *10

そして、パルプ・マガジンの世界でも新たな雑誌が台頭してきました。Wikipediaでは ゴールデン・エイジの終焉 について次のように解説しています。

Seeking greater freedom of expression, writers started to publish their articles in other magazines, including The Magazine of Fantasy and Science Fiction, If magazine, a resurrected Amazing Stories, and most notably, Galaxy.

表現の自由を求めて、作家たちは『ファンタジーサイエンス・フィクション』誌、『If』誌、復活した『Amazing Stories』、そして最も有名な『Galaxy』といった雑誌に記事を掲載し始めた。

世界SF大会World Science Fiction Convention) は1953年に「前年に発表されたSFやファンタジーの作品および関連人物に贈られる賞」である ヒューゴー賞Hugo AwardHugo Award) を創設しました。1953年の 11th World Science Fiction Convention での初表彰の際、 Hugo Award for Best Professional Magazine のカテゴリーでは、 アスタウンディング・サイエンス・フィクションAstounding Science-Fiction) と ギャラクシー・サイエンス・フィクションGalaxy Science Fiction) が表彰されました。SFシーンを牽引する新旧のパルプ・マガジンの揃い踏みは、 時代の移り替わりを物語る出来事だったのでしょう。


序章 後編その5に続く


余談のサマースペシャ

本編だけでも十分長いのに「まだ、なんかあるのか?」と怒っておられる方もいらっしゃると思いますが。 当初は後編その3に続けて 8/5〜8/6 あたりに公開するつもりだったのに、 ガッツリ2週間かけてしまった、そのあたりの言い訳を少し…

毎年この時期になると第2次世界大戦の出来事を扱ったドキュメンタリーが放送されますが、今年も 『BS1スペシャル▽“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇』 が再放送されました。

www.nhk.or.jp

本稿でも取り上げたマンハッタン計画に参加した科学者たちの物語です。 で、本編の主題だった「クリーヴ・カートミル 事件」のエドワード・テラーの証言を読み直していた時に、 ふと「事件を軸にマンハッタン計画の内と外を対比してみては?」と思いついたのでした。 以降、2週間かけて色々書き足したのですけども、出来上がりに「舌足らず」を感じたので、 少しだけ補足をさせてください。

まず、マンハッタン計画アメリカの計画として知られてますが、 その開発を担った科学者チームの主力は亡命ユダヤ系ドイツ人を中心としたヨーロッパ出身の原子物理学者たちです。 このブログでもどこかで紹介した記憶があるのですが、イギリスが主導した研究プロジェクト チューブ・アロイズTube Alloys) での研究成果を受け継いで原子爆弾の製造を目的として立ち上げられたのがマンハッタン計画です。 チューブ・アロイズで研究を主導した原子物理学者はそのままマンハッタン計画に合流しました。 つまりマンハッタン計画においてノーベル賞を受賞したりノミネートされた経験のある高名な物理学者は皆ヨーロッパからやってきました。

それに対し例えば、 ロバート・ウィルソンRobert Wilson, 1914〜2000) といったアメリカ人の物理学者は若く優秀ではありましたが、研究者としての実績はまだありませんでした。 彼らがマンハッタン計画に惹きつけられた大きな理由は、自らの研究分野の先達と一緒に働いて学ぶ機会を得ることでした。

もしロスアラモスに『アスタウンディング』の読者がいたとしたら、 それは彼らだったのではないか?…と僕は思ったりします。 小説『デッドライン』を読んだ彼らは、 キャンベルがカートミルに語ったと言われる「敵の原爆使用を阻止する」という 少々子供じみたシナリオで自らの役割を理解していたかもしれません。 であれば、彼らが後に、その架空の物語と現実の出来事の落差の大きさに打撃を受けたことでしょう。

ドキュメンタリに登場するすっかり年老いた彼らは、 それぞれ自らの後悔を口にしていました。 もちろん僕もその発言に疑念を感じた訳ではありません。 しかし、誰の口からも同じ意味の言葉が繰り返されていることに、 自分の行動をそのように理解せざる得なかった彼らのその後の現実を思わずにはおられません。

番組をご覧になった方、どのようにお感じになられましたか?

*1:僕よりも若い読者の皆さんにはピンとこない話かもしれませんが、 当時、全ての大手漫画雑誌に連載を抱え、 1963 年には初の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」の放映にも成功して絶頂期にあった 手塚治虫 は、翌1964年に創刊された雑誌「ガロ」で発表された貸本劇画出身の漫画家、 白土三平の 「カムイ伝」 に狼狽するほどの衝撃を受けたことが語り継がれています。

手塚のコメントが掲載されている手塚自身が書いた半生記「ぼくはマンガ家」は現在、復刻されて下記から入手できます。 白土三平について語っているところでは、手塚自身の想像を遥かに超えて拡大していく漫画の読者層について「唖然」とする自分を率直に語っています。

rittorsha.jp

実は手塚の文章を僕は初めて読んだのですが、非常に軽妙な語り口に「関西人」を感じました。 「朝から晩まで漫画ばかり書いている」イメージだったのですが、非常に交友関係の広い人だったんだなぁという印象です。 彼がよく知る日本の黎明期のSF作家についても多数話題に登っているのですが…これ以上手を広げると収拾がつかなくなるので今回は割愛します(笑)

手塚のこの見立て実に正確で、 学生運動 が徐々に熱を帯び始めていた当時の世情を背景に「カムイ伝」を支持・愛読する大学生・社会人が爆発的に増え、 その後の漫画の読者層の急速な拡大に大きな影響を与えました。 のちに手塚は「白土氏が登場してから、子供漫画の傾向は一段と変化したといっていい、 重厚なドラマ、リアリズム、イデオロギーが要求され、単なる物語性だけではおとなに通用しなくなったのである。 おとなに、つまり子供漫画がまずおとなに評価され、ジャーナリズムに乗ってから子供に敷衍されるという、逆コースを辿ることになったのである。」と語っています。

*2:ちなみに、この三原則は、アシモフの短編集 『われはロボット』 (”I, Robot”, 1950) に収録されている短編 「堂々めぐり」 (”Runaround", 1942) にが登場します。

*3:太平洋戦争中、 フィラデルフィア海軍工廠Philadelphia Naval Shipyard) でハイライン(予備役技術士官)とアシモフ(民間技術者)、それから L・スプレイグ・ディ・キャンプL. Sprague de Camp, 予備役技術士官) が勤務していたようです。

*4:またまた1960年代の日本の漫画コミュニティの話と対比になりますが、 前述の「月刊漫画ガロ」もまた当時の漫画ファンの絶大な支持を受け、無名の漫画家に活動の場を与え、支持層の拡大に大きく寄与した雑誌でした。 ですが、編集長の長井勝一は漫画家に対し寛容で放任主義だったと言われています。 キャンベルがダースベーダーなら長井はヨーダと形容できると言ったところでしょうか?

*5:テラーの証言は、物理学者でありSF作家でもある グレゴリー・ベンフォードGregory Benford, 1941〜) による "Old Legends" で語られています。 PDFバージョンは こちら

*6:この情報は、米軍のアルソス・ミッション(Alsos Mission)によりもたらされました。アルソスは第二次世界大戦中の敵国の科学的発展を探索するため、軍事、科学、情報の要員により組織されたチームで、ドイツの核兵器開発プロジェクトを中心に、化学・生物兵器とその運搬手段を調査しました。

1944年11月25日、ドイツ占領下にあったフランスのストラスブールの攻略に随行したアルソスは、ストラスブール病院の敷地内でドイツの核実験室は発見しました。ワイツゼッカーの事務所、フレイシュマンの研究室、ストラスブール病院で発見された文書は、ドイツがウラン濃縮のための実用的なプロセスを開発することができなかったことを示しており、アルソス・ミッションは初めて、ドイツが核兵器保有しておらず、当面保有しないであろうことと断定的に報告することができました。

同時に、これは「ナチス核兵器保有する」との仮説が幻想で、マンハッタン計画の決行の大前提が崩れた事を意味していました。

*7:1943年から1980年までの37年間にわたり通信傍受を行った ベノナ・プロジェクトVenona Project) はアメリカとイギリス共同で実施された極秘の対ソ連防諜プログラムでした。 1991年のソビエト連邦の崩壊を受け、 1995年にアメリカ政府はプロジェクトの存在を認め、その一部の情報が公開されました。

その公開情報にはマンハッタン計画から情報漏洩に関わる次のような情報が含まれました。

ローゼンバーグ夫妻
ソ連が原爆実験に成功した翌年の1950年、ユダヤ系ドイツ移民のローゼンバーグ夫妻が逮捕されました。後に ローゼンバーグ事件 として知られるスパイ事件です。裁判で夫妻は死刑になりましたが、 極秘プロジェクトであったベノナで得られた情報は一切伏せられたため、 裁判後も「証拠不十分」「冤罪」との主張が続きました。 ベノナ情報の公開により夫妻の関与が明らかになりました。

クラウス・フックスKlaus Fuchs
クラウス・フックスはマンハッタン計画に参加した若手科学者の中でも最も優秀な理論物理学者でした。 Wikipedia によると、彼の上司であった ハンス・ベーテHans Bethe) は彼について次のような賛辞を送っていました。

From August 1944, Fuchs worked in the Theoretical Physics Division at the Los Alamos Laboratory, under Hans Bethe. His chief area of expertise was the problem of imploding the fissionable core of the plutonium bomb. At one point, Fuchs did calculation work that Edward Teller had refused to do because of lack of interest.[28] He was the author of techniques (such as the still-used Fuchs-Nordheim method) for calculating the energy of a fissile assembly that goes highly prompt critical,[29] and his report on blast waves is still considered a classic.[30] Fuchs was one of the many Los Alamos scientists present at the Trinity test in July 1945.[31] In April 1946 he attended a conference at Los Alamos that discussed the possibility of a thermonuclear weapon; one month later he filed a patent with John von Neumann, describing a method to initiate fusion in a thermonuclear weapon with an implosion trigger.[32] Bethe considered Fuchs "one of the most valuable men in my division" and "one of the best theoretical physicists we had."[30]

1944年8月から、Fuchsはロスアラモス研究所の理論物理部でHans Betheの下で働いていた。彼の主な専門分野は、プルトニウム爆弾の核分裂性の核を爆縮させる問題であった。ある時点でFuchs氏は、Edward Teller氏が関心の欠如を理由に拒否していた計算作業を行った。彼は極めて迅速に臨界に達する核分裂性集合体のエネルギーを計算する技術(現在も使われているフックス=ノルトハイム法など)の開発者であり、爆発波に関する彼の報告は依然として古典的と考えられている。フックス氏は、1945年7月に行なわれた『トリニティー・テスト』に参加したロスアラモス研究所の多くの科学者の一人だ。1946年4月、彼はロスアラモスで熱核兵器の可能性を議論する会議に出席した。1ヵ月後、彼はジョン・フォン・ノイマン氏に特許を申請し、爆縮の引き金を引いた熱核融合兵器で核融合を開始する方法を説明した。BetheはFuchsを「私の部署で最も価値のある人の一人」「最も優れた理論物理学者の一人」と考えている。

この文章を見る限り、フックスはマンハッタン計画がトップ・シークレットとしていた技術開発の多くに関わっていたかのように見えます。

ベノナは、そんな彼の裏の顔を暴き出しました。 彼はドイツ共産党の党員であり、ナチスが仕掛けた ドイツ国会議事堂放火事件 の直後にイギリスに逃れたが、かつての仲間とのコネクションは保ち続け、 原子爆弾開発でのトップ・シークレットをソ連にリークし続けた…マンハッタン計画に関わったモンスターの中でも最大級のひとりなんじゃないかと僕は思います。

*8:Wikipediaの 「SFの大衆への影響」 よると、アシモフは「クリーヴ・カートミル事件」について次のように語っているそうです。

Asimov said that "The dropping of the atom bomb in 1945 made science fiction respectable. Once the horror at Hiroshima took place, anyone could see that science fiction writers were not merely dreamers and crackpots after all, and that many of the motifs of that class of literature were now permanently part of the newspaper headlines".

ちなみに、原爆投下に言及するこのコメントは50年前の1969年に出版されたアシモフの短編集 "Nightfall and Other Stories" に書き加えられた1文である事にご留意ください。キャンベルの親しい友人でもあったアシモフは、 SFという新しい文学領域へのキャンベルの多大なる貢献を周囲に強くアピールしたかっただけなのだと思います。

*9:今日では新興宗教 サイエントロジーScientology) として知られています。映画俳優のトム・クルーズが入信したことで話題になりましたよね?

*10:視点を変えると「科学」もまた「物理的および論理的に説明可能な宗教」と言うことができるように僕は思います。 例えば、原子物理学の説明は原子のスケールでの話ですので人間には直接観察する事ができません。 もちろん実際の科学研究の現場ではこれらの「見えない現象」を確認するための方法もまた開発している訳ですが、 そういった現場で登場することがら得てして非常に専門性の高いですから、 それを理解していない一般人には研究者の主張を信じるか?否か?は宗教とあまり変わらないのかもしれません。 多くの人にとっては今日の「人工知能」もまた、科学と宗教のボーダーラインの上に存在しているような気が僕はします。