告知(2)勉強会
前回の告知 から間が空いてしまいましたが…
ブログに草稿をアップするようになって9ヶ月になりましたので、 ここで現状について諸々書き残しておくことにます。
まずは、昨日ようやく「序章 後編その5」をアップしました。 さっき調べてみたら「序章 前編」を公開したのは 4/30 で半年前。 話題を『SFとAI』に切り替えて「序章 後編その1」を公開したのは 8/1 で3ヶ月前。 とにかく、まぁ散々時間を費やしてきてますが…昨日の「後編その5」を持って「序章」の執筆は一旦終了とする事にします。
実は先月某所で「確かに『SFとAI』は面白いネタだけど、本来の草稿の公開の趣旨から大幅にずれてない?」と突っ込まれまして… 内心「それ、わかっちゃいるけど、序章としてオチがつかないで悶絶中なんで…」とこっそり呟いた次第。 なので「アイザック・アシモフのおかげでなんとかオチがついた」と安堵しているところです(笑)
正直にいうと、序章では Wernher von Braun と J. C. R. Licklider について、書いておくべきだと考えているのですけども、 ここはジョン・キャンベルの…
書きだしに手こずるのは、不適当な箇所から書き始めるからなんだ。 それも、たいていは、前すぎるせいだ。 話のもっと後の個所を選んで、やり直してみたまえ。
の教えにしたがって本編へと急ごうかと思っています。
読者のみなさんがどのように受け止められているかは定かではありませんが…
ここ半年の序章の執筆は僕自身には勉強になりました。いやいや、本当に言い訳や負け惜しみでなく。
まず、1940年代にアメリカではSFブームが起こっていたことを初めて知りました。 この時代、僕らの世代は太平洋戦争真っ只中の印象が強すぎて、 「文化的なムーヴメントなんか起こりっこない」 と思い込んでいたんですね。でも、それは日本の話でアメリカはそうではなかった。 やはり国力の差というのはこういうもんなんでしょうなぁ。
さらに、このムーヴメントを牽引したのがパルプ・マガジンで、 これは明らかにサブカルチャー・ムーヴメントであること。 アシモフ自伝に登場する Futurians とかは、なんだか1970年代の Homebrew Computer Club が思い出されるので、もうちょっと掘り下げたかったのですが、またまた話が発散するのでやめました。
Lee Felsenstein の Community Memory とかね。若者にはピンと来ない人も多いかと思いますが Apple はこのクラブから生まれた会社なんです。 アメリカはサブカルチャー・ムーヴメントが加熱し、 メイン・ストリームに流れ出す事によりパラダイム・シフトが発生してニュー・ビジネスが生まれるのですが、そこでは勝者と敗者ができる。 そのようなドラスティックな社会的な動きがアメリカの1940年代に(たぶん、それ以前にも何度も)起きていたことに僕自身は驚いてます。 おそらくアイザック・アシモフはこの1940年代のムーヴメントの申し子なんでしょうねぇ。
関連して驚いたのが、その当時のパルプ・マガジンがしっかり残っていて、今では電子化され原書がタダで読めること。 インターネット・アーカイブはどうやって集めてるのかわかりませんが、当時一番人気だった Amazing Stories や Astounding Stories あたりは数十年分が、かなりしっかり残っています。ちなみに 後編その5 で紹介した作品の原書は以下のリンクから読めます。
邦題 | 原題 | 初出 | Astounding |
---|---|---|---|
『ロビィ』 | "Robbie" | 1940 | |
『われ思う、ゆえに…』 | "Reason" | 1941 | v27n02 |
『うそつき』 | "Liar!" | 1941 | v27n03 |
『夜来たる』 | "Nightfall" | 1941 | v28n01 |
『堂々めぐり』 | "Runaround" | 1942 | v29n01 |
やはり一番目を引くのは "Nightfall" の劇中シーンが表紙になっている v28n01 ですねぇ。 ちなみに、残念ながら『ロビィ』が掲載された Super Science Stories だけは、メジャーなパルプ・マガジンではないようなので原書は見つかりませんでした。
それから…
マービン・ミンスキーが「彼は偽りの謙遜ではなく、いつも正直で、気取らず、ユーモラスだった」が評したように、 アイザック・アシモフ (Isaac Asimov, 1920〜1992) の人柄は彼の自伝にも溢れており、 ユダヤ系ロシア移民というややこしい立場であるにも関わらず、 タブーを恐れず率直に語る(例えば自分のことを二級市民と呼んだりする)ところに彼の誠実さを感じました。
これは僕の次回作の本来の主人公である ジョゼフ・ワイゼンバウム (Joseph Weizenbaum, 1923〜2008) を理解するうえでも役に立ちそうです。
実際、彼らはどちらもユダヤ系移民で、 その幼少期の境遇に共通するところが多いのです。 二人は3歳違いのほぼ同世代で、 アシモフはロシヤ革命の影響で3歳の時にロシアから、 ワイゼンバウムはナチス・ドイツの台頭により13歳の時にドイツから、 追われるようにしてアメリカに渡りました。 移民後の生活が貧しかったことも、 にも関わらず学業が優秀で高い学歴を収めていることも共通してます。
一方、二人には非常に対照的なところもあります。 ワイゼンバウム家は敬虔なユダヤ教徒で非常に厳格であったのに対し、 アシモフ家はユダヤ教を捨て世俗化(アメリカ化)しました。 二人とも非常に博識だったのですが、 ワイゼンバウムが書き残した文章はヨーロッパの知識人のような回りくどい(故にわかりにくい)表現が多いと感じるのですが、 小説家であるアシモフの文章は率直でわかりやすい(彼が茶目っ気を出して敢えて回りくどく表現しない限りは)。 そして、おそらくワイゼンバウムであれば書き残すことはなかったであろう、 アメリカに住むユダヤ系移民が共通して感じていただろう非常に細かな、あるいはボヤッとした差別 をアシモフはユーモアを交えてあっけらかんと書き残している…『アシモフ自伝』はその背景を推測しながら読むと非常に興味深い書籍です。
コンピュータ・サイエンスとSFと分野は全く異なりますが、 結局二人とも大成して多くの尊敬を集めました。
ついでに言っておくと、二人とも自分が成功した分野だけでは飽き足らず、散々余技に明け暮れたりもしてます。 ワイゼンバウムは対話システム ELIZA を開発して世間をアッと言わせましたが、 その後は人工知能批判に転じて倫理問題を主に扱うようになりました。 アシモフは1950年代になってジョン・キャンベルと疎遠となった後は、 (化学の博士号を持ち教鞭を執る経験もあった彼にはこれが本来の仕事なのかもしれませんが)ノンフィクションの執筆に血道をあげ、 再びSF小説を書き始めるのはだいぶん後のことになってからです。
…ってことで
アイザック・アシモフを杖にジョゼフ・ワイゼンバウムを語ってみようか?などと考えてます。
もうちょっと正直にいうと、以前書いた ELIZA開発の背景は? という記事は、例の ELIZA 論文 の内容を次の文献 "Where are they, the islands of reason in cyberstream?":『彼らはどこへ?:サイバーストリームの中の理性の島』 を参考にして補強しながら書いたのです。
その時点では、後続の記事はこの本の内容を軸にして書き進めるつもりだったのですが、 どうにも曖昧すぎるし暗すぎるような気がして…筆運びを良くするためにはまたまた少し研究が必要かもしれません。 まぁ、序章を書いている間に JavaScript 版 ELIZA の方も多少進展したので、 『Unix考古学』の連載時の例にならって実装編を何回か書きたいとも考えています。 どうやら「はてブ」からアクセスして来られる方は若い方が多いようで、 実装的な内容にしか関心を持ってもらえないようですしね。
最後に、タイトルに「告知」と書いておきながら何にも告知してないので…
今年の1月に東京でプライベートな勉強会をしましたが、 1年ぶりにまたまた勉強会を開こうかな?と考えてます。 詳細はまだ決めてませんが、多分年末よりは年始の方が可能性は高いかと。
詳細が決まったら connpass で連絡します。
以上